ジュリーの独り言 ポロちゃんの想い出
橋本家のプリンセス、猫のジュリーです。
この度、オーガニックペット用品のコーナーのホステス役を仰せつかりました。
私、気を使いませんので、言いたいことはビシビシ言わせて頂きます。
橋本家では家族みんな、基本えみーさんの手作りのご飯を頂きます。
勿論、私もです。
かつて一緒に暮らしてた犬のポロちゃん、サラちゃんもそうでした。
時々えみーさんがしんどい時は市販のペット用のご飯でしたが、あの子たちはえみーさんが煮込んでくれたお野菜中心のリゾット風ご飯が大好きでした。
えへへ、わたしもね。
そこに少しお肉やお魚が日によって混ぜ込まれてくるスタイルでした。
えみーさんは我流ですが、ほんとに私たちの健康を考えて、あれこれ工夫してくれました。
今は私一人でえみーさんのサービスを独占、満足です。
で、今日はポロちゃんのお話をします。
橋本家で一番最初に飼われたペットの愛犬は純血の柴犬でした。
神奈川のH町に住んで、子供たち3人が育ってきて、いぞうさんが言い出したのです。
子供たちに動物と共に成長してほしい、動物の心に共感できる感性を持ってほしいと。
だから犬を飼おう。
でも、本当はただ自分が好きで犬を飼いたかっただけなのだと、私は見ています。
そして、いぞうさんはそのポロちゃんをとても愛しました。
でも、愛したからこその苦しみに突き落とされました。
と、自分でそう思ってるみたい。
面白いから最初にそのお話をまずお伝えしますね。
本人は涙を浮かべますが、聞いてる私にすれば、面倒くさいおやじだな、と思えて、ひそかに笑ってしまうお話なんです。
ポロちゃんはえみーさんのお友達から貰われてきました。
生後数か月だったといいます。
家族みんなで名前をどうするか、揉めに揉めた挙句、ポロと付けられました。
家を構えた橋本家の最初のペットの座を与えられたポロちゃん。
海に面した神奈川県のH町で暮らし、環境は最高でした。
最初は外犬としてしっかりした番犬に育てたいと 頑張ってたいぞうさん。
でも、そんな気負いはたちまち崩れ、雨で可哀そう、夜泣きしてる、寒そう、暑そう、と、いつの間にか家の中に入れて、挙句自分の布団に入れて寝るようになってしまいました。
甘い男なの(苦笑)
間もなく、いぞうさんとえみーさんの人柄で、子供たちとは横並びの扱いになっていきました。
家族みんなに注目され、可愛がられて、ポロちゃんは太陽の王子様となりました。
ひいき目でハンサムだと家族は思ったし、生まれてきた喜びを体中で表すように、ポロちゃんは溌溂とした若犬でした。
わたしはいぞうさんは特にポロちゃんに思い入れがあったと見ているんです。
次に家族の一員になったサラちゃんや、最後に橋本家に入ってきた私ジュリーも含め、いえ、子供たちの長男坊、長女、次女まで含めても、いぞうさんはポロちゃんを一番可愛がったんじゃないでしょうか。
子供たちより愛するなんて、異常ですか?
はい、いぞうさんて、そういう変わり者なんです。
今はもう子供たちも独立し、ポロちゃんもサラちゃんも亡くなって、いぞうさん、えみーさんと私の3人暮らしです。
長女のちゃーこちゃんは傍に住んでいますが、生活は別です。
近頃、いぞうさんとえみーさん、夕食時にはたまにその話になります。
ポロちゃんの苦しみを受け止めてやれなかったと。
ポロちゃんの挫折のこと。
毎度悲しそうに切なさそうに話すいぞうさん。
知らん顔してますが、私、耳にタコができました。
初めは家族旅行の時、ペットショップに預けたことが始まりでした。
ゲージに入れられ、幾晩か過ごして衝撃を受けて怯え切ったポロちゃん。
報告書があり、ペットショップに落ち度はないとはっきりしています。
ただ、ポロちゃんの中で何か挫折が起きたのですね。
要するに、それまであまりにも可愛がられすぎていたから。
犬扱いされたのがショックだったのよねえ。
いぞうさんは理解できてもできなくても、いつも人に話しかけるように話しかけ、ポロちゃんの心の機微に触れていて、それを当たり前のこととして受け入れていたポロちゃん。
なのに、時間でお仕着せのエサを与えられ、夜は暖かい布団ではなく冷たいゲージの中で眠るのです。
明日どうなるのか、家族とは会えるのか、何が起きているのか。
このまま2度と家族と会えないんじゃないのか。
それはポロちゃんにしてみればとてつもない蹉跌だったでしょう。
数日後、家族とは再会できましたが、家族と自分の間の溝をはっきりと見てしまったようなのです。
自分と他の家族の間には落差がある。
何かが違う。
そしてポロちゃんの抵抗が始まりました。
芽生えた不安や恐怖に抵抗するためだったのでしょう。
以来、自分が他の人と変わらない家族であると、強く主張し始めたポロちゃん。
同じ食卓で食べたがり、一緒にお出かけしたがり、駄々をこねました。
全てが過剰な主張でした。
しかし、その後も挫折感を募らせていったポロちゃん。
当然です。
いぞうさんは仕事に、子供たちは学校に、えみーさんはお付き合いや買い物に。
ポロちゃんには介入できない世界が人間には確実に存在したからです。
ポロちゃんは余計に気が付いていったのです。
ああ、違う、自分は家族たちと同じ世界を見ることができていない。
自分の世界は彼らとは別な世界なのだと。
極めつけがサラの登場でした。
サラは迷い犬でした。
橋本家で保護して飼い主を探したのですが見つからず、最終的に飼うことにしたのです。
サラは雑種でしたが大柄で、苦労してきた分、逞しく厚かましく、愛情を示してほしがり、自己主張の激しい犬でした。
エサはポロちゃんの分まで食べてしまいました。
お坊ちゃま育ちのポロちゃんにはその圧力も辛かったようです。
なにより、サラちゃんを見て、家族と犬の存在の仕方の違いに挫折感を深くしたのです。
はっきり、家族とペットの差を見てしまったのです。
自分はサラの側なのだと思い知らされたのです。
余計、ポロちゃんは抵抗を強くしました。
自分はサラとは違うと主張し続けました。
ぼくは家族の側に立つ存在なのだと。
でも、どうしようもなく自分はペットの犬であり、家族ではないのだとの思いを深くしていくしかありませんでした。
家族と同じ食卓には座れず、テーブルの下で餌の皿に口を突っ込むしかないのです。
毎日毎日、食事のたびにポロちゃんは挫折感を深めていったと、いぞうさんは見ています。
ポロちゃんの悲しみをなすすべなく見つめているしかなかったいぞうさん。
専門家とか学者さんはいぞうさんのこの見方を納得しないでしょう、犬にそれだけの高度な知性の働きはないと。
でも、いぞうさんは専門家の方が分かってないのだといいます。
動物には人間に引けを取らない高度な感情や知性の働きが確かにある。
思いやりやひがみや妬みもあれば、尊敬する心も、より良く生きたいと願う思いも。
いぞうさんは虫たちの気持ちだって感じられるといいます。
人間は自分たちが霊長類だと思いあがっています。
でも、人間だけがこの世界の主役じゃないのです。動物も人間も喜びや悲しみの在り方には差はない、と観察するいぞうさん。
違うのは複雑な抽象概念による推論ができない点だけだと言い切ります。
皆さんはどう思われますか?
いぞうさんによれば、2年間、ポロちゃんは自分が何ものであるのかについて、悩み続けたのだそうです。
そして徐々に生気を失っていったといいます。
やがて諦めが目の色に浮かぶようになった、と、いぞうさんは悲しそうに話します。
かつての太陽の王子の面影は消え失せました。
表情のない、無気力な犬になってしまった、と、いぞうさんは言います。
毎度、そのことをいぞうさんは哀しい顔で話します。
私が橋本家に保護されたのは一番最後でした。
ポロちゃんもサラちゃんも、おじいさんおばあさんで、もう私に嫉妬したり邪魔にしたりするほど若くはありませんでした。
私のこともいぞうさんは可愛がりました。
ジャケットから顔を出した私を懐に、よく散歩してくれたものです。
私の話はまた次回にしますね。
そうして日は過ぎていき、目が悪くなり、足腰が弱り、やがてポロちゃんは老いました。
やがて、3・11を機に、もう独立していた長男坊を除き、私も含めた家族みんなで熊本へ引っ越しました。
環境が変わっても、家族が変わらないので、あまりストレスはありませんでした。
熊本での新しい暮らしに慣れ、そうして老いて、最後は足腰が立たなくなり、えみーさんが介護を続けました。
ある夜、静かに息を引き取り死んだポロちゃん。
苦しい息のポロちゃんを、いぞうさん、えみーさん、女の子たち、わたしと、みんなで看取りました。
サラちゃんもポロちゃんの後を追うように、一年後、老衰で亡くなりました。
今夜も晩ご飯を食べながら、いぞうさんは語ります。
どんなに愛しても、愛したからこそ、オレはポロちゃんを苦しめてしまった。
初めから犬扱いをしていれば、ポロは苦しまずに済んだ。
自分が人間じゃないという哀しみを克服させてやれなかった。
犬にとっても、人間にとっても、生きることは苦しみだと思い知らされた。
努力しても、思いやっても、愛しても愛しても、乗り越えられないものがある、と。
はああ、溜息出ますよねえ。
私、ジュリーは、ナイーブすぎると思うんですけどね、いぞうさんもポロちゃんも。
はっきりしているのは、人も犬の側も、私たち猫だって、互いに互いが必要だということ。
お互いの存在に癒されるのだということ、共に生きる喜びは確かに存在すること。
それでいいんじゃないのかな。
はい、私は幸せです。
そりゃ不満は多々あるけど、ポロちゃんだって幸せだったと思います。
サラちゃんもね。
そう言ってあげたいけど、いぞうさんには私の言葉は伝わらないんですよねえ。
せめて、今日も甘えた鳴き声をあげて聞かせてあげよう、って思います。
私が甘え掛かると、その瞬間、いぞうさんはとてつもなく満たされた笑顔を見せるんです。
それでいい、と、私は思ってます。
人間は、私たちを必要としてます。
私たちの何かが彼らを癒すのでしょうね。
私たちだって、彼らを家族と感じてます。
人間と犬猫の違い。
越えられない溝とか壁、差があるのかもしれないけど、互いに思い合っているんですもの、それで十分だと、私は思うんだけどなあ。
いぞうさんは極端な人でしょ。
でも、愛犬家、愛猫家の人には共感して貰えるんじゃないかな。
ご意見ある方はお店の問い合わせフォームからご連絡どうぞ。
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