菊池市との出会い
関東から熊本へ引っ越しました。
私たち一家は 3.11からの脱出組です。
当時渋谷に住んでいたわたし、ちゃーこは
会社の先輩と共に帰宅難民となりました。
入社以来、色々私をカバーしてくれた先輩。
あの日も私を励ましてくれて、一緒に歩いてくれました。
渋谷から桜新町へ。
先輩は二子玉川でしたね。
先輩のおかげであの夜を乗り越えられました。
その後、私は父や家族と話し合いを続け、
結局関東を離れることにしました。
父の調べや、知人からの情報で、若い娘が東京に住み続けることには
リスクが伴うという情報が得られたからです。
どこまでが本当のことか、別な意見を言う人もあり、
正確なことはわかりません。
私たちが間違っているのかもしれません。
その情報を先輩にもお伝えしたんですが、先輩は悩んだ結果、
やはり東京を離れることはできないという結論を出されたようです。
そこまで危険ではないとも判断されたみたいです。
私たちの進む道は違ってしまいました。
私の決心を、先輩は後押ししてくれました。
私たちの決断の違いは紙一重でした。
先輩はもう結婚していたし、旦那さんの気持ちもあって、
不安は感じながらも人生の舵を大きく切ることは
できないという結論だったのです。
私は父の決断に支えられて、仕事を辞め、
新しい人生に踏み出すことになりました。
父は移住先として熊本を選びました。
父がかねてからあこがれていたことと、偏西風が理由でした。
この先、またどこかで何か大きな事故があったとしても、
日本には偏西風があり、危ないものを運ぶ風が西から北へ吹く。
その時、エアポケットのように原発のない熊本が
比較的安全だとの判断でした。
3・11からおよそ1年後、
私たちは熊本へ移住しました。
父は葉山にあった自宅を売却しました。
最初は熊本市内に住んだのですが、
やがて、田園風景を求め、菊池市へ移り住むことになりました。
結局、そこが私たち一家には離れられない場所となったのです。
菊池市は運命的な場所となりました。
そこはある種のユートピアでした。
(この項 続く)
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