菊池歴史ツアーガイド1・菊池本城
コロナがまたまた大変となり、皆さんに菊池へ来てもらうことができなくなっています。
観光面でも頑張ろうとしている菊池としては痛手です。
そこでせめて何かできないかと考え、このブログで菊池の観光名所を紹介して、皆さんに菊池に興味を持って頂き、いつか菊池を訪れてみたいなあ、と思って頂けるようWEB上でツアーガイドしてみます。
その切り口として、いぞうさんが得意なのは歴史方面なので、菊池一族の歴史から、ツアーガイドを試みますので、お付き合いください。
今回の第一回は菊池の中心地である市民広場、市民公園及び菊池神社界隈をご紹介しますが、ここは菊池一族時代は菊池本城だった場所です。
城跡といえば熊本城に代表されるような天守閣があり、石垣が巡らされたお城を想像されるでしょうが、あれは戦国時代も後期、織田信長以来江戸時代の初めにかけて多く作られた形式のお城で、それ以前は全て土の城であり、天守閣などはありませんでした。
菊池一族が活躍したのは鎌倉時代から戦国初期にかけてですので、この菊池本城も土の城であり、天守閣も石垣も存在しません。
そのため、ここが多くのいくさを経験した巨大な城跡であることが市民の皆さんにさえ知られておらず、ただの公園だと思われていることは残念なことです。
菊池一族の中でももっとも有名な武将は菊池武光公ですが、一族の歴史が始まっておよそ300年たった南北朝時代、中興の祖となった武光公が登場、後醍醐天皇の皇子懐良親王(かねながしんのう)をお迎えして征西府を開府するにあたり、菊池川沿いの深川という場所から本城を現在の隈府、市民広場の場所に移転させ、同時にその前面に隈府という計画都市を建設したのです。
隈府の町割りは条里制に基づき、今現在もそのままに残され、菊池市民はそこで生活しています。
つまり、700年前に菊池武光公がデザインしたそのままの町に、今でも菊池市民はお世話になって暮らしているのです。
菊池神社は官位の高い神社ですが、ここの歴史は意外に新しく、明治の初めに創建されています。明治新政府が発足し、天皇を中心とした価値観を再建しようとしたことにちなみ、かつて南朝方として天皇家に尽くした菊池一族の本城跡を、官位の高い神社にして菊池一族の功績をたたえようとしたのが創建の理由でした。
市外から車で来る人々は、菊池の中心部である市民広場を目指されるべきかと思います。
菊地はその市民広場を中心に四方に広がっているので、まずここにきて菊池本城跡を見学すれば、菊池の歴史にダイレクトにアクセスすることができ、その後好きな方面に出撃できるわけです。
しかも無料駐車場が用意されているので、車は停め放題です。
物産館と観光協会の案内所もど真ん中にあり、そこからすぐのところが御殿跡。
日本で一番背の高い武将像、菊池武光公の騎馬像が鎮座ましましておられます。
そこから参道を通って菊池神社へ上がると、そこは菊池本城詰めの城の跡地。
神社はそのまま砦の主郭で、いくさで攻められた時には一族の棟梁、及び親王たち幹部が詰めました。
現在は宝物館があって刀剣や鎧、菊池一族の歴史に触れることができます。
その菊池神社から尾根伝いに東へ歩くと菊池本城詰めの城の第2郭、第3郭を巡ることができます。
第2郭からは眼下に広がる菊池隈府の街並みが見渡せ、私の大のお気に入り。
ここの景色の絶景はぜひ見て頂きたいところです。
彼方には熊本の金峰山や海を隔てた島原の普賢岳が望見できます。
すごい眺めです。
そのすぐそば、今はお城の真ん中を阿蘇方面や大分方面に抜ける国道が走っていますが、かつては城内として厳しく固められていました。
このお城は菊池氏時代も何度も戦火にあって多くの人々が命を散らしましたが、その後戦国後期には豊臣秀吉の九州征伐の際、当時菊池を支配していた隈部一族が攻められて奮戦しました。
菊池神社の脇手にはその当時のものと思われる巨大な空堀が残されています。
そういう歴史の後を辿ってみるのは歴史好きな方、お城ファンならたまらないものがあることでしょう。
南北朝期のお城としては、比高80メートルの平山城とはいえ、前面に本城御殿を備え、そこに征西府という疑似幕府組織を置いた菊池本城は実に巨大で、肥後守護の本城として相応の重厚なお城であったことが偲ばれます。
その当時は今の熊本市の辺りはただの田舎、菊池氏配下の武将たちのお城がのちの熊本城のある場所、白川沿いなどにあっただけです。
一方菊池は繁栄を極め、菊地は九州でも3大都市の1つ、巨大城下町、天皇の皇子おわす都だったのです。
残念なことにそれだけの歴史の重みが菊池市民の皆さんに周知徹底されているとはいいがたく、案内板やアナウンス、資料館の整備などが全くない状態であるため、一見ただの市民広場に見えてしまい、当時の繁栄をお伝えすることがかなりに困難です。
しかし、歴史好きとしては未だ人の知らない壮大な歴史的遺跡を自分自身の目で発見する楽しみがあるわけで、歴史発見を大事にする人たちにとって、菊池本城は大変貴重な場所であるといえるのです。
普段は市民の憩いの場所として、春には桜で全山が彩られますし、祭礼や年始には菊池神社には多くの人が訪れています。
これは2郭にある城内月見殿を再現した展望台。
下は当時の月見殿の想像図です。
そんな菊池の中心部、菊池市民広場から菊池探検を始めて見られてはどうでしょうか。
菊池歴史ツアーガイド、第1回目として菊池市民広場、実は菊池本城跡地のご紹介でした。
コロナが明けましたら、ぜひ一度、ご訪問ください。
菊池観光協会案内所には、わたし、いぞうさんが絵と文を担当した「幻の都、城下町菊池」という冊子が用意してあり、頼めば無料でもらえます。
次回の第2回では市民広場からすぐ背後の、雲の上宮、懐良親王の住まわれた御所をご紹介したいと思います。
ご期待ください。
尚、菊地武光公の生涯、懐良親王との壮大な歴史絵巻を、私、いぞうさんが小説にしています。
その小説はnoteで読めるよう投稿していますので、ぜひ一度読んでみてください。
いちおうかつて作家をしていたので、素人ではないつもりです。
でも無料。
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リタイアした身で再度創作活動を行う気など毛頭なかったのですが、武光公の物語のあまりな面白さを発見してしまい、書かずにはいられなかったのです。
歴史小説好きなら絶対に失望させませんので、どうぞよろしくお願いいたします。
宣伝までしてしまいました。
それでは!
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