梅雨入りした菊池から、いぞうさんの呟きです



コロナであまりで歩けないので、暇を持て余したいぞうさんとしては、移住記を書いてみよう、なんて思い立ってしまいました。

お暇な方、お付き合いください。




きっかけは東北大震災と原発爆発でした。

当時神奈川県の葉山町に住んでいたんですが、TVから地震速報が伝わってきて映し出される映像がそれまで何度もキャンピングカーで旅していた東北地方だったので、「おお、馴染みの場所が出てくるなあ」なんて気軽に見てたら、あれよあれよという間に大惨事となっていきました。

「嘘だろう!?」

それから先は自分の暮らしまでが非日常と化してしまい、人生の予定が「一切合切変更」、となってしまいました。

「まじか!?ええ!?」

なんてあっけにとられているうちにさらに事態は新たな展開に。

音声なしの画像で原発が吹っ飛んだ様子を見せつけられた時は呆然としましたね。

あれが核爆発かどうか、当時は皆さん喧々諤々の言い合いになってたのを思い出します。

ツイッターでね。

原発が爆発してからはツイッターウオッチャーとなり、毎日情報を取り続けました。

関東全域が機能マヒしてしまったので、TVの情報速度が置いてけぼりにされてしまいました。

「TVおっせー!(唖然)」

私たちTVが絶対だった世代には衝撃的な事でした。




その時ツイッターでは現場の人から救援要請などの即時発信がなされて、訳知りな人々からも発信があり、政治やお役所やマスコミの人たちがかえって情報弱者で、自分の部屋でツイッター見てる自分の方がはるかに事情に通じてしまっていたのが驚きでした。

原発は紛れもなく危機的状況で、腹の底から恐怖感がせりあがってきました。

原発に水を注水できないとTVで言ってるけど、注水できるキリンという機械を持ってて役に立てて欲しい社長さんがこっちにはいて、私は知っているのに政治家もTVの司会者もそれを知らない、原発の危機はどんどん募っていく、というウソみたいな世界。

「やばい、やばいぞ!」

なんて手に汗握って、という状況から、今度はやがて時間経過と共に世の中のありようがどんどん見えてくる事態となっていきました。

原発が爆発しようが、経済が回らなくなる、というお題目の前には誰が犠牲になろうと知ったこっちゃない、という空気が世の中には蔓延してることが明確に見えてきて、あ、世の中狂っとる、と感じられてしまったのでした。

その時、自分自身さえそんな空気にマヒして生きてたことにボンヤリ気が付きまた。

原発爆発のお陰で総括原価方式とか、日本広告機構の広告費のこととか、政府のODNでの税金ロンダリングとか、色々見えてきたんですね。

日本は全体がブラック企業化して、稼ぎがないのに派手に回さなきゃ繁栄が維持できない、だからあらゆるインチキを駆使して原発なんか推進し、企業は売るために新しい価値観を無理にでも作り出し、商行為を成立させる。

売れないもの、必要のないものに、必要だという錯覚を生じさせて売り抜ける。

そんな高度成長の果ての汚れ落ちた日本がありありと見えた気がしました。

そんな時代に仏罰が下って原発が爆発したのだと。

わたしはTVや映画でご飯を食べてきてたので、それはつまり、そんな歪んだ商行為のすそ野の方で、広告費というやつのおこぼれに預かってた、ってことですよね。

そう感じてしまうと最早虚しさしかありませんでした。

他人を押しのけ、俺の才能を見ろ!と上昇志向だけであくせく生きてた自分。

でも、若者でなくなってきたら、今度は押しのけられる番になってました。

ケータイネイチャーの若い人の胸を打てる作品書ける人は本当に才能があります。

そんなこんなで、つっかれるなーこの生き方、なんて感じてたんです。

そしてそれを全部原発の爆発が吹き飛ばしちゃった。

それで、なんかいやんなった、リタイアしちゃおう、ってなっていったんですね。

娘たちが世田谷に住んで、都心に勤めていたので、娘たちを関東には置いとけない、逃がさないと!と思ったこともファクターとしては大きかったですね。

放射能は子宮にたまり、出産で赤ちゃんに移行し、母体は奇麗になるという話を聞いて、そりゃたまらんと思いました。

もし赤ちゃんに何かあって、赤ちゃんに放射能を押し付けて自分の身体が奇麗になったなんてことになったら、自分が親なら耐えられない、と思いました。

娘たちにそんな思いはさせられないと。

娘たちはまだ独身で、いつかは子供を産みたい気持ちを持ってたみたいなので。

だから娘たちを誘って九州移住に踏み切ったんです。

とはいえ、これが私が現役バリバリで、上り坂にある作家だったらどんな選択をしたかは定かじゃないです。

60になって、やることはやり切ってもう時代に影響を与えられる才能は残っていなかったし、お金の為に惰性で仕事を続けていたようなもんだったから決断できたのかもしれません。





それでも移住までにはあっという間に1年経過していました。

どこへ移住しよう、家はどう始末しよう、仕事を整理もしなきゃならない、なんてあれやこれや課題難題が山積みでしたからね。

原発爆発直後に関東を逃げ出した人たちの決断の速さが眩しいです。

で、移住先ですが、生まれ故郷の島根県には帰る気がしませんでした。

ふるさと、なんて言いますが、中国山脈が迫り、寂しい日本海に挟まれた狭い土地柄が、なんとなく昔から好きじゃなかったんですね。

島根の人、ごめんなさい。

私には手塚治虫の「火の鳥」以来、火の国熊本に対する憧れがありました。

火の鳥が阿蘇の火口に住んでいるというエピソードがありましたよね。

そこから這い出す主人公が次の物語にエピソードをつないでいたと記憶してますが、描かれた風景の雄大さが心に残っていたんです。

それで熊本、阿蘇の近くに住みたいと思い、下調べに通いました。

そして「熊本だ!」ってなっていったんですね。

広い大地、豊かな農産物、阿蘇が見せてくれる雄大な生命力。

当時関東には安全な食べ物が枯渇していたような気がしてました。

地震直後の流通マヒで食料が手に入らなくなったり、出回り始めても放射能汚染の為に西からの食べ物は関東にはなかなか出回らないって状態でしたからね。

そんな時、熊本のスーパーには安全安心な食べ物が溢れて、なんて豊かで贅沢な土地なんだ、と感激してしまいました。

何より、今後またどこで原発が爆発しようと、偏西風の関係から一番安全なのは熊本だ、との判断がありました。

かくして、私はかみさん、娘2人、犬2匹を伴って、関東から熊本へ車2台に家財道具を積み込んで移住してきた訳なんです。

と、まあ、今回は移住のきっかけについて書いてみました。

そのうち続きを書くと思いますので、興味持っていただけた方はそちらにもおつきあいくださいませ。

では、いよいよ梅雨入りしてうっとおしいですが、皆さん、ご自愛くださいね。

コロナもあるし、色々大変ですが、負けずに頑張りましょう。

えい、えい、おー!

ってな感じでね。


ちゃーこからの菊池便りブログ

店主のちゃーこです。 熊本県菊池市でアート&雑貨&自然食品のお店を家族で営んでいます。 ちゃーこや取材担当のいぞうさんが商品の紹介や日々のことなどについて綴っていきます。

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