コロナの時代に思うこと



2020年はコロナに明けてコロナに暮れた年でしたね。

私の周囲の皆さん、初めは舐めてかかってたみたいだけど、だんだんシリアスな状況になってきました。

私たちの暮らす熊本も罹患された方が少ない方じゃないです。

怖いですよね。

問題は医学が対応できなければ今の程度の被害じゃすまなくなって、世界中が被害に飲み込まれるかもしれないってことでしょう。

変異もバンバンするみたいだし、簡単には制御できないかもって不安が広がっていますよね。





ワクチンが本当にコロナを制することができるのか、来年はそのせめぎあいが本格化するんでしょうね。

かつてペストが流行って大量に人が死に、この世の終わりかと思われた時代があったみたいだけど、今回も下手するとそんな被害が出てしまうかもという重い空気が世界を覆いつつあるようです。

それを避けるために世界の指導者は(日本の政治家は全く無能で役立たずだけど)厳しい見方を示して決断し、その結果、世界の行き来ができなくなって、ビジネスが行き詰まり、世界経済が回らなくなりつつありますもんね。

さすがの日本村のおじいちゃん政治家たちもそれに引きずられ始めてはいるようですが。

こうなると気が早いせっかちな私なんか、ああ、19世紀の産業革命以来の資本主義社会が行き詰まるのじゃないかなんて、恐ろしいような、わくわくするような予感がこみ上げてきて、そわそわしてしまいます。

はい、怖いだけじゃなくて、わくわくもあっての、そわそわなんです。

変革って、嫌いじゃないんです。

命の危険もあるかと感じるけど、それ以上に大変動って、面白くなる!って感じで好きです。






もちろん犠牲になられた方や、これから苦しまれるかもしれない方たちのことを思えば軽々しいことは言えないし、自分自身もやられるかもしれない恐れに怯えながら、十分警戒しないと、とみんなに呼び掛けたい気持ちは持ってます。

でも、それとは別な感覚で、資本主義って、とっくに行き詰ってるのに、欲に駆られた我々、知らんふりして欲望の限りを尽くして悪行を重ねてきたんだから、そろそろ別な生き方を探すべき時期に来てるんじゃないの、なんて気がしてきてしまうのです。

現行の世界経済が成り立たなくなる。

うーん、いいじゃないの、ってね。

コロナのお陰でそんな時代に変動していくならそれもよし。

新しい人間の生き方、探らない?って。



2011年に東北大震災が起こり、挙句、原発が爆発した時、我々多くの人が時代の持つ欺瞞性に気づきましたよね。

資本主義社会の中で、稼ぐという行為には欺瞞性が付きまとっているんだなあと。

生存に不可欠なものを製造販売、購入するという行為を超えて、我々は自ら生み出した価値観に基づいて欲望を増殖させている。

自分探しとか、自己実現とかいう抽象概念もそのライン上にある観念のような気がします。

それが地球環境を汚し、地球のキャパシティを超えて環境を汚染、破壊している。

それがやまない。

我々自身がマヒしてその欲望に洗脳されて環境破壊をやめない。

それに気が付いた人々がその流れに抵抗しようとしてみても、ほとんどの人は自分が妄念に支配されて操られているという自覚がない。

挙句、詐欺みたいなビジネスが世界中にはびこり、それを前提として我々は富を追いかける。

加えて既得権益を持った1パーセント程度の人々が富を独占するためにその社会構造を持続するため、さらにシステムをがっちりと組み上げていく。

原発が爆発した時、そんな構造が明確に見えた気がしました。

ああ、いつの間にか世界はそんなになっちゃってたんだなあ、と。

もちろん自分もその歯車の一員で、あくなき欲望に支配されてきてました。





私は戦後10年程度後の時代に生まれ、戦争につながったとされる古い既成概念を攻撃する世相に育ちました。

それは今考えるとほとんどアメリカの用意したトリックのような価値観でしたが、見事にそれに乗せられて、子供心に物質や欲望充実こそ正義であると思いこまされました。

アメリカこそ産業革命以来のスーパースターで独り勝ちした世界のヒーローだったんですよね。

あらゆる価値観が新しく打ち立てられて、目まぐるしいような成長感が当たり前で、やがてやってくる世界への期待で胸が膨らみ、欲望もまた成長し放題といった時代でした。

そんな時代の裏側で、自民党のおじさんは自分の土地を原発の敷地用地として売却して途方もない利益を上げ、総括原価方式という詐欺のようなシステムを作り出して電気ビジネスを原発ビジネスに歪め育て、幻のような欲望造成システムであるTVと組んで狂ったような世相を作り出していったのです。

これは誰かが犯人というような陰謀論ではなくて、犯人のいない犯罪、とでもいうべき状況だったと思います。

一人一人は個人の人生を抱え、人生の充実を図っていただけでしょう。

わたしだってそうだし、世界中がそうだったのだと思います。

しかし、やがて私たちには歯止めが利かなくなりました。






地球中の緑が枯渇していこうと、他の生物種が死に絶えていこうと、そんなことに心を痛めながらも、しかし、ひるがえって自分の人生の為にはより大きな収入を求め、生存の為ではなく、他人より良い生活をしたいとか、これじゃみじめだとか、ステイタスが得たいからとか、自己実現のためだとか、様々な欲望に突き動かされて働き続け、稼ぎ続け、競争し、地球を痛め続けてきたのです。

原発が爆発した時、そんなことどもの象徴的な出来事だと、私は感じたものです。

実はたいした必要性もない原発の為に、殆どの人はTV で、原発を止めたら経済はどうなる!?という金科玉条的言葉に乗せられ、原発を止めるな!と思わされていました。

原発を止めたら電気の存在を土台にしたみんなの暮らしが根底から覆る、という恐怖心に支配されました。

個人の生活はお金に支えられています。

資本主義社会だからです。





そのお金が回らなくなれば家のローンも払えないし、食べ物も買えません。

みんなが現在の生活を支えるためのお金を稼ぐためには、原発に代表されるトリックのような経済システムが保たれなければならないのです。

経済システムは人の暮らしを助けるために組み立てられたのに、やがてシステムそのものが意思をもって人々をスポイルし、怪物のようにすべてを飲み込んでいく。

その為に必要でもない原発を生み出し、税金を吸い上げ、一部の富裕層に金をかき集めていく。

みんな働きバチにされて生き血を吸われているのに気づかぬまま、そんなシステムを応援し続ける。

「経済が成り立たなくなるじゃないか!」

なんて、亡者がシステムに操られながら妄語を吐き散らす。

挙句、人間の発明したもので事故を起こさなかったものなんかあるわけないのに、原発は絶対にメルトダウンなんかしないという安全神話まで作り上げて、何が何でもお金をかき集めてましたが、案の定事故は起きて放射能がまき散らかされた。

そうなんだけど、お金を追いかける人々は意に介しない。

見知らぬ子どもががんになろうと白血病になろうと、亡者にの目には入らない。

「経済を回そう」

と狂気の沙汰をやめはしない。

今の人間の物欲は地球のキャパシティを地球なん十個分も超えながら、他人の優位に立つためだけの為に経済活動ってやつをやめさせない。

人は働き続けるしかない。

その無限活動のせいで、間もなく地球は破産する。

既に秒読みです。



さあ、そこでコロナです!




原発の爆発後の混乱がそんな時代の現実を浮かび上がらせた気がしたのは一瞬で、やがて時間が経つにつれ、みんな現実生活に追われてそれを忘れてしまい、また元の亡者の群れに戻ってしまった気がしていましたが、懲りない人間の愚かさに、天があきれ果てて溜息をつき、

「仕方ない、いよいよ本格的に叩きのめすしかないか」

と、むくむく起き上がってきたのでは?

なんて考える私は変?

原発事故じゃまだ局所的過ぎて人間は目を覚まさない。

あれじゃ足りなかった。

もうちょっと根本的に、世界的に人類の生存を脅かせば目を覚ますかな?と、の意思の元、コロナという使者を送り込んで、いよいよ本格的に人間のおごりを叩き潰そうとしてきた。

なんて、ことはないんでしょうか?

世界の行き来を止めて、資本主義をぶっ潰そう。

天がそう考えた。



そんなアホな夢想してしまう私です。

さすが天は見てるなあ、なんて。






私が子供だった時代、科学が進歩し、世の中が進めば飢えはなくなる、誰もが幸福に暮らせる時代が来る、という未来図が漫画雑誌で紹介されていました。

でも、実際にはそうなっていません。

ロボット工学が進み、人間の代わりに機械が働いて、人間は働かなくても生きていける。

かつて労働にあてた時間を自己充実や世の中の為に使って幸福に生きる。

そんな楽しい未来予測図を示されましたが、今はどうでしょう。

富の偏在と貧困層の増大化が現実です。

何かおかしいと感じてましたが、それが資本主義のせいではないかと思うようになりました。

全てをお金に換算し、それで得た対価ですべてをまかなう。

そのシステムのせいで、お金がない人は生きられません。

変ですよ。

夢見た未来が今訪れてきてるのに。

機械に人が仕事を奪われる不安な時代って、おかしいですよね。

機会が働いて、人が楽できていいはずなのに。

全部資本主義の元での事です。



しかし、そんなシステムが必要だった時代は今、終わろうとしている、とは思いませんか。

新しい生き方のできる時代が化学やロボット工学や、様々な進歩、発明や工夫で実現できる時期が来ている。

すぐそこまで。





本当はせちがらく働かなくても人類は生存可能。

働いて生きがいを見出したい人はお金じゃなく、人類への貢献とか、他の報酬で満足すればいい。

お金をすべての価値観の基本にすることをやめる。

別なシステムを生み出せばいい。

それができる時代に来ている。

なのにまだみんなが目覚めないのでそのシステムがすべてを歪めていきつつあるのに誰も手が打てない。

そういう事態が起こっているのではないでしょうか。

今は既に21世紀、アトムの時代すら超えて、機械やシステムを総動員すれば、世界の人口をまかなえるはずですよ。

そんなユートピアを実現できる力を人間は持っているんじゃないか。

ちょっと頭を使い、工夫してシステムを変えさえすれば、誰もが幸福になれる世界を実現できるのでは?

なんてね。

あと一歩。







でも、それをさせないのは既得権益をもって、他人を蹴落とし、自分だけが美味しい富の酒に酔い続けていたい1パーセントの人々じゃないのか。

いや、彼らも犠牲者なんでしょうが。

「経済が回らなくなったらどうするんだ!?」

なんて、みんなが妄念を植え付けられて目を覚ます機会を奪われている。

資本主義社会の殻を脱ぎ捨てれば、新しい幸福が見えてくるのに、それのできない人間。

その人間の目を覚まさせるための天の使者。

それがコロナ、なのかもしれませんよ。

コロナの猛威は恐ろしいし、犠牲になる人(それは私や私の家族でもあり得る訳で)は辛いし、救われないけど、でも、もしこれが天の采配なら、私たちはこれをチャンスと捉えて正しい道筋を選び直すべきなのじゃないでしょうか。

しっかり考えるべきことを考えるべきじゃないでしょうか。

コロナの時代には重大な意味がある。

ただ右往左往するだけじゃいけない、と、思うんですが。

案外簡単にコロナが制されて、私の想いはしりすぼみに終わってしまうのかな。

世界から恐怖の芽が1つ消えて、それはそれでいいとは思うんですが。

どうなんでしょうねえ?

来年はどうなる?



ちゃーこからの菊池便りブログ

店主のちゃーこです。 熊本県菊池市でアート&雑貨&自然食品のお店を家族で営んでいます。 ちゃーこや取材担当のいぞうさんが商品の紹介や日々のことなどについて綴っていきます。

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